国民は権力担当に小馬鹿にされている!

  憲法を足蹴にしている内閣には「衆議院を解散する」ために、     天皇に「助言と承認」する資格はない! 

 天皇の「衆議院を解散する」という国事行為のための「内閣の助言と承認」(第七条)には、前提条件がある。

 内閣が「憲法を尊重し擁護する義務」(第九十九条)を、人類普遍の原理である「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」(前文)を守りながら誠実に果たしていることが前提条件だ。

 しかるに、現内閣は、”

ア.権力担当が憲法

 私が憲法”の如く「一般的には憲法違反だが、例外的に・・・」と憲法の例外をつくったり、憲法学者の95%と元法制局長官が憲法違反と批判しているのに、全く違憲でないと言う著名な憲法学者もいる等の理由をつけて違憲でないと言い切ったりして、平和憲法が謳っている平和を骨抜き状態にする様々な政策を実施している。

イ.憲法の柱の否定

 憲法で謳っている個人の尊厳・公共の福祉・すべて人間は生まれながらにして自由・平等の生活を享受できるという基本的人権を否定して、個人として尊重ではなく「人として尊重」・(権力担当の決めた)公益及び公の秩序という権力担当の手のひらの中だけの人権にしている。

ウ.立憲主義の無視

 憲法は「国民の人権を守るために国家権力の行使をしばる」ものという立憲主義を無視している。

エ.国民主権の無視・国民を小馬鹿にした日常的な情報操作

 前文にあるような国民主権はどこ吹く風、政権政党に不利な情報は隠蔽・改竄する等の情報操作を頻繁に行ったり、官庁はもちろんテレビ局の人事にも介入したり忖度(=される側からの見返りが期待できなければしないであろう忖度)や忖度と思われるものが頻繁にあったりで内閣主権の様相を呈している。

オ.日本国憲法を足蹴にする発言

 日本国憲法を足蹴にする発言を内閣の長である総理大臣があちこちでしている。

等々があるので、前提条件を満たしていないことは明らか。

憲法に真摯に向き合っておられる天皇

  天皇も第九十九条の遵守等をしなければならないが、記者会見での「日本は平和と民主主義を守るべき大切なものとして日本国憲法をつくった」、「天皇として即位して以来今日まで,日々国の安寧と人々の幸せを祈り,象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました。しかし憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く・・・・象徴像を補い続けていってくれることを願っています」、大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば,日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合,伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います」等のおことばに、憲法に真摯に向き合ってこられた姿が表れている。これらは現在の上皇のおことばだが、現天皇も皇太子時代の記者会見での話から同じだと考えられる。

憲法を「尊重し擁護する義務」を果たしていない内閣が、天皇に「助言と承認」等は天皇を軽視するもの

 オスロ平和研究所のハルプビケン所長が日本国憲法ノーベル平和賞の有力な候補にあげた理由を「ウクライナや東アジアなど各地で緊張が高まっている今こそ、日本の憲法9条の価値が国際的に認識されるべきだ」と話しているくらい世界に誇れ、天皇のお言葉にもある素晴らしい憲法。その憲法を「尊重し擁護する義務」を果たしていない内閣が、天皇に「助言と承認」等は天皇を軽視するもので、あってはならない不条理だ。

常に国民と共にあろうとした姿は、時代を超えて国民の心に深く刻まれるに違いない
常に国民と共にあろうとした姿は、時代を超えて国民の心に深く刻まれるに違いない

衆議院解散は党利党略で政権政党の勢力拡大のためなので、国民のため天皇の国事行為としてふさわしくない

 天皇の国事行為「衆議院の解散」は国民のために行う(第七条)ものだが、衆議院解散は党利党略で政権政党の勢力拡大のためで、広く国民のためではないことも明らかなので、この点からも憲法の遵守からは程遠い。

国民と共にあろうとした姿は、時代を超えて国民の心に深く刻まれる

 常に国民の幸せを祈り国民と共にあろうとされてきた象徴としての天皇の姿は国民の心に深く刻まれているので、天皇を軽視することはとりもなおさず国民を小馬鹿にしていることになる。